歴史

潮見のまわりの町名の由来:江東区・橋を渡った先の地名を読む

東京・江東区潮見の周りにある枝川・辰巳・東雲・新砂・塩浜などの町名の由来を、江東区が公開する「江東区の地名由来」で確認して並べました。橋を渡った先の名前の意味が分かると、いつものさんぽが少し変わります。

潮見から橋を渡ると、すぐに別の町名になります。枝川、辰巳、新砂、塩浜。地図で見慣れているわりに、その名前が何を指しているのかは意外と知らないままだったりします。

結論から言うと、江東区の町名の由来はだいたい3つの系統に分かれます。方角や情景から名づけられたもの、複数の町名を合わせてつくられたもの、そして開拓した人や社寺の名前が残ったものです。潮見の周りには、この3系統がきれいに揃っています。

この記事は、江東区が公開している「江東区の地名由来」(『江東の昭和史』平成3年より作成)で確認できた記述をもとにまとめました。

潮見自身は「潮の香」から

まず自分の町から。江東区の地名由来では、昭和43年1月30日に8号埋立地を区に編入したこと、そして潮の香のただよう地であることが、潮見という町名の説明として案内されています。首都高速九号線が通り、潮見グランドがあった、という当時の風景の描写も添えられています。

埋立から命名までの流れは潮見という地名の由来と「蟻の町」の歴史にまとめてあるので、詳しくはそちらをどうぞ。ここから先は、橋の向こう側の話です。

橋を渡った先の町名

潮見から歩いて出られる先は、橋の本数だけ決まっています。渡った先の町名を、由来と一緒に並べるとこうなります。

町名潮見からの位置由来(江東区の地名由来より)
枝川西・暁橋、八枝橋の先大正4年9月に埋立工事へ着手し、昭和3年4月に完成。当時の深川区に編入された
辰巳南・漣橋、七枝橋の先十二支でいう辰巳、つまり南東の方角。江戸城から巽にあたることから
新砂西・砂潮橋の先南砂町四丁目が新砂一・二丁目、九丁目が新砂三丁目になった
塩浜北昭和43年4月1日の住居表示実施にあたり、浜園町と塩崎町の名からとられた
東雲東東雲は明け方にたなびく雲。夜明け、あかつき、あけぼのを意味する

こうして並べると、辰巳と東雲だけ毛色が違うのが分かります。片方は江戸城を基準にした方角、もう片方は夜明けの空の情景。どちらも、埋立地に名前をつけるときに、地形ではなく言葉の側から名づけられたものです。

橋そのものの話は潮見の橋めぐりに書きました。橋の名前と行き先の町名をセットで覚えると、島の中の方向感覚がかなり安定します。

合成された名前、残った名前

塩浜と新砂は、由来の性格がまた別です。塩浜は浜園町と塩崎町から一字ずつ、新砂は南砂町の丁目が住居表示制度の実施で組み替えられたもの。どちらも、もとの町名の記憶を部分的に引き継ぐ形でできています。

一方で、人の名前がそのまま残っている町名もあります。

  • 深川:慶長の初期に摂津国から移住した深川八郎右衛門が、小名木川北岸一帯を開拓し、その苗字が村名になったとされています
  • 北砂:明治22年4月1日、多くの新田を合併する際に、砂村新田を開拓した砂村新左衛門一族の名から砂村としたと案内されています
  • 越中島:江戸初期の一時期、播州姫路の領主だった榊原越中守の別邸があったため、俗に越中島と呼ばれたとされています
  • 富岡:現在の横浜市金沢区にある富岡八幡宮の分霊により、深川に富岡八幡宮が建立されたことに由来するとされています

潮見から自転車ですぐの越中島に、江戸時代の大名の官名が残っている。この距離感がなかなか面白いところです。越中島の街の様子は潮見の隣駅・越中島にまとめています。

木場と新木場は、名前が引っ越している

潮見の周辺でいちばん分かりやすいのが、木場と新木場の関係です。

江東区の説明では、木場が木場になったのは元禄14年(1701)。江戸市中では火事の原因になるため、材木商たちが深川の埋立地へ移され、元禄16年(1703)に木場町と命名されたとされています。

そして新木場は、昭和47年11月1日に14号埋立地を区に編入した地で、木材流通基地の整備にともない、昭和48年から木場地区の木材業者の大部分が移転してきた場所だと案内されています。

つまり、江戸時代に一度移された材木の街が、昭和にもう一度移った。その2回分の移動の跡が、木場と新木場という2つの町名として残っているわけです。潮見はちょうどその両方の中間あたりにあります。

名前を知ってから歩くと、景色が少し変わる

町名の由来を並べてみると、潮見の周りが「いつ、どういう理由で土地になったか」の順番で読めるようになります。江戸時代から開けていた木場や富岡、大正から昭和にかけて埋め立てられた枝川、戦後の埋立地である潮見や辰巳、新木場。橋を1本渡るたびに、土地の年齢が変わっていく感覚があります。

散歩のときに思い出すのは、そのくらいで十分です。辰巳へ向かう漣橋を渡りながら「いま南東に歩いているんだな」と気づくだけで、見慣れた運河の景色の解像度が少し上がります。

※本記事の由来の記述は、江東区「江東区の地名由来」(『江東の昭和史』平成3年より作成)で確認できた内容にもとづいています。掲載時点の情報です。年代や表記は資料により異なる場合があります。