江東区・潮見はいつできた島?「8号地」から読む、埋立とごみ処分の歴史
東京・江東区潮見の土地はどうできたのか。大正13年の第8号埋立地、昭和2年に始まったごみの埋立て、夢の島・若洲へと続く流れを、東京都環境局などの公開情報からたどります。
江東区・潮見の土地は、ある日まとめてできたわけではありません。結論から言うと、大正時代に「第8号埋立地」として工事が始まり、昭和の東京のごみを受け止めながら、何十年もかけて土地になっていった島です。
以前の記事潮見という地名の由来と「蟻の町」の歴史では、命名と共同体の話を中心に書きました。今回はその手前、「土地そのもの」がどう積み上がったかに絞ってたどります。
始まりは「深川枝川町地先第8号埋立地」
潮見の前身は、「深川枝川町地先第8号埋立地」と呼ばれた土地です。明治43年から、東京市内の河川改修で出た浚渫土砂を使った埋立が周辺で進められ、大正13年(1924年)に第8号埋立地の造成が行われたとされています。
周辺の埋立も同じ流れの中にあります。おとなりの枝川は大正4年に着手されたとされ、潮見はそのさらに沖側に位置する土地でした。周りの町名の成り立ちも、同じ埋立の順番で読むことができます。
いまの感覚で言えば、「川をきれいにした土砂で、海の上に地面をつくった」ということです。潮見のまっすぐな街路は、この出自をそのまま表しています。
昭和2年、8号地でごみの埋立てが始まる
潮見の歴史でもうひとつ大きいのが、ごみ処分との関わりです。東京都環境局の「ごみ埋立ての歴史」では、昭和2年(1927年)から、現在の江東区潮見にあたる8号地でごみの埋立てが始まったと紹介されています。
当初はごみに火をつけて燃やしてから埋める「野焼き」方式でしたが、煙や粉じんへの苦情が続き、昭和30年代以降は行われなくなったとされています。8号地は昭和42年(1967年)ごろまで処分場として使われ、その前後から人が暮らす町としての形が整っていきました。
1968年2月に江東区へ編入され、「潮見」と命名されたのはこのあとです。
8号地から、夢の島・若洲・中央防波堤へ
8号地のあと、東京のごみの埋立て先はさらに沖へと移っていきます。東京都環境局の公開情報をもとに並べると、次のようになります。
| 埋立地 | 埋立て開始 | いまの姿・補足 |
|---|---|---|
| 8号地(現・潮見) | 昭和2年(1927年) | 住宅・オフィス・ホテルの町 |
| 14号地(夢の島) | 昭和32年(1957年) | 10年足らずの埋立て。現在は夢の島公園など |
| 15号地(若洲) | 昭和40年(1965年) | ゴルフ場やキャンプ場として利用 |
| 中央防波堤内側 | 昭和48年(1973年) | 埋立ては終了 |
| 中央防波堤外側 | 昭和52年(1977年) | 掲載時点で使用中 |
| 新海面処分場 | 平成10年(1998年)〜 | 23区の最後の埋立処分場とされる |
こうして見ると、潮見は東京湾に向かって延びていく「ごみ埋立ての年表」の、比較的早い一行目に位置しています。となりの新木場にある夢の島は、その次の世代にあたる土地です。歩いて行ける距離の話は潮見から夢の島公園へに書きました。
準工業の町から、住む町へ
処分場としての役目を終えたあとの潮見には、倉庫や鉄工所、造船所、清掃事業所などが並び、準工業地区として育っていったとされています。1960年には「蟻の町」が移り住み、跡地にはいまもカトリック潮見教会があります。
大きく変わったのは、1990年3月の京葉線延伸で潮見駅が開業してからです。集合住宅やオフィスの開発が進み、現在の「東京駅に近い住宅地」としての顔ができあがりました。
- 大正13年(1924年):第8号埋立地の造成
- 昭和2年(1927年):8号地でごみの埋立て開始
- 昭和42年(1967年)ごろ:処分場としての役目を終える
- 1968年:江東区に編入、「潮見」と命名
- 1990年:潮見駅開業、住宅地化が進む
ちなみに、いま江東区のごみ収集を担う江東区清掃事務所は潮見1丁目にあります(詳しくは潮見のごみ出し入門)。100年近く前にごみを受け止めた土地が、いまも区のごみ収集の拠点を抱えている。そう知ってから集積所の前を通ると、毎週のごみ出しが少しだけ長い物語の続きに見えてきます。
※本記事は東京都環境局「ごみ埋立ての歴史」、Wikipediaなどの公開情報をもとに、掲載時点でまとめたものです。年代や呼び名は資料により異なる場合があります。